何かを始めようと思います。
その動機が何かは、人に寄って様々ですが、スタートを「入口」に例えてみます。
不純な動機が「入口」だとしても、進んでいる間に段々と最初に想像していたモノと違う方向になり、自分も周りも満足が行く結果になったとします。
例え「入口」が間違っても、最期の着地(出口)が大成功であれば、それで良いと思います。
「入口」が間違って無かったとしても、「出口」で迷うと、人生がぐだぐだになるのです。
「出口」を見失うと、何も見えなくなるのです。
「入口」よりも「出口」の方が大切だと、私は思っています。
今向かっている「出口」が間違いだと気付いたら、執着せずに、すみやかに方向を変えれば良いのです。
大きな代償があるとしても、間違っていると分かったまま進むより、絶対に良いのです。
「出口」を間違うと、大切なモノまで失う事になるのです。